生活者の目線で、浜田の今をつづる。

このサイトは私個人の経験と意見にもとづく私見です。数字や史実は確認しつつ、誤りがあれば直していきます。

自己紹介 私について

石見焼の壺のシルエット
島根県浜田市を歩きながら

現在76歳。人生100年時代の折り返しに、ふるさと島根県浜田市の息づかいを、私の言葉で、そして生活を通じて残しておきたいと思い、このサイトを始めました。若いころから仕事で各地を回りましたが、心はいつも浜田にありました。

なかでも石見神楽は私の背骨のような存在です。37年前、福岡で神楽を初めて紹介して以来、福岡・名古屋・津など各地での催しに関わり、浜田への神楽見学旅行も30回以上手伝ってきました。舞い、囃子、衣装、火の匂い—その一つひとつが、働く日々を支えてくれました。

私は歴史好きです。広島時代に『浜田城炎ゆ』に出会い、浜田の歴史の奥行きに震えました。読み終えるや、取引先や友人、会社仲間へ30冊以上を贈り、「この土地の物語をもっと知ってほしい」と願いました。城や武将の栄枯だけでなく、港や街道、祭りを支えた名もなき人々の営みこそ、いまの私たちの暮らしへ続いています。

私は浜田が好きです。そして、好きだからこそ発展させたい。大仰なことはできませんが、生活者の目で見つけた“良いところ”を磨き、困りごとには小さな改善を積み上げたい。このサイトは、そのための私的な記録であり提案のノートです。

米八屋(yonehachiya)について

このサイトの初めにあたり、yonehachiya について少し記しておきます。私の実家は米沢屋ですが、私はその分家にあたります。私の屋号は米八屋で、この「八」は名古屋をあらわしています。今後は yonehachiya.jp として発信していきますので、よろしくお願いします。

※文章・提案は私見です。気づき次第、少しずつ手を入れていきます。

現在 いまの浜田市について

島根県浜田市は、島根県の西部、石見(いわみ)地方の中心にある港町である。 日本海(浜田湾)に面し、背後には中国山地の山々が迫る。人口は約5万人で、 松江市・出雲市・益田市と並ぶ県内の主要都市の一つだ。 広島市からは中国自動車道・浜田自動車道を経由して、およそ2時間半前後の距離にある。

島根県浜田市の位置を示す地図
島根県浜田市の位置

みどころ 浜田を感じる文化と楽しみ

石見焼のいま

石見焼の壺のシルエット
石見焼の壺をイメージしたシルエット

江戸時代から続く浜田の焼き物で、強く、塩に強いのが特徴。 昔は味噌かめや水がめとして全国に出荷されました。 いまは花器や器、灯りなどに形を変え、工房では絵付け体験も可能です。 土の香りと炎の痕が残る器に、浜田の風土が息づいています。

石見陶器の現状(石見焼)

石見神楽

石見神楽の面をイメージしたイラスト
石見神楽の面をイメージしたシルエット

開石見神楽(いわみかぐら)は、島根県西部・石見地方に伝わる伝統芸能である。 神社の祭礼で神々をまつるために舞われてきたもので、 笛と太鼓の激しい囃子、金糸の豪華な衣装、面の表情の豊かさが特徴である。 石見神楽は地域の誇りと結束を示す文化であり、浜田の人々にとって“生きるリズム”のような存在である。

私と石見神楽(舞の記憶)

旅行友の会の記録

美又温泉をイメージした湯気のイラスト
美又温泉の湯気をイメージしたイラスト

「浜田を知ろう、島根を知ろう」という思いからはじまった、 約14年間・16回の 大人の社会科見学 の記録です。

浜田市を拠点に、島根県西部の文化・歴史・産業をじっくり歩きながら学び、 ときに県央・県東部、さらには広島方面にも足を延ばしてきました。 訪れた先は、石見銀山・浜田城下町・三瓶山・津和野・奥出雲・原発施設・放送局・ 歴史資料館・火力発電所・旧海軍施設など多岐にわたり、 “観光”というよりも、地域を深く理解するための学びの探訪でした。

→ 記録を見る

歴史 浜田の歩み(私的抄)

港と街道の要衝、山陰の押さえとしての役割、そして在地の人々の営み。以下は私が集め、心に残った要点です。

浜田市の歴史
歴史を学ぶ
浜田という名の起こり/式内社
  • 905–927年の『延喜式』『神名帳』に通称式内社の記載。石見圏に34社、那賀郡に11社。現浜田域では石神・三宮・久代・伊甘(下府)などが見える。当時すでに集落があったと考えられる。
  • 1020年頃、中納言常方が郷下向し、潮の満ち干を利用して田を開く。「浜を田に開いた」ことから浜田の名がついたと伝わる。最古の「浜田」地名は1443年の奉納文書とされる。
戦国~近世初期:古田家と浜田城
  • 関ヶ原後、石見は一時天領。港湾の重要性を理解した古田重治が着目。1619年入部、1620年築城開始、1623年城下完成。山陰道と港を見据えた立地。
  • 重治の後、重恒が家督。跡目問題もあり、1632年頃に断絶。城下は1619~1650年頃に概成、浜田から周囲へ五街道(山陰道等)が延びた。
松平周防守家の入封と転封
  • 1649年、松平周防守家(松平康映)入封(以後5代)。北前船の寄港や御客船帳に麻製品・干鰯・鉄・半紙、のち瓦・石見焼などの積荷が見える。
  • 1759年、本田家入封(八~十代まで)。九代は真田信之の血を引く縁も。
  • 1769年、松平康福が岡崎より再入封、加増で6万1千石に。1825年頃、外ノ浦に廻船問屋21軒、繁栄の記録。
幕末:石州口の戦いと退去/近代への転換
  • 1866年、石州口の戦い。浜田・福山・津和野・紀州・松江・鳥取等 計2万余が動員。一方、長州は大村益次郎の指揮で装備・統制が優れる。
  • 6/16 扇原の戦い:岸静江(150石)が壮烈な戦死。長州軍は葬送・石碑費用を負担。
  • 6/17 市街戦:浜田幕府軍戦死34、長州27。目付・三枝刑部戦死。武聡(松平家)病中ながら指揮、最終的に城・屋敷を焼いて総退去へ。
  • 1867 鶴田藩設立(旧浜田藩)。1868 鳥羽伏見で幕府側派遣、のち維新へ。1870 浜田県設置、のち島根県に合併(1876)。
  • 1872 浜田大地震:全壊4,300戸の被害。1921 鉄道開通・浜田駅。
在地の系譜:益田氏と七尾城
  • 祖は藤原国兼。1192年、御神本兼高が益田へ移り益田氏を称す。七尾城を本拠に地域を支える。在地一族の抗争・合従連衡を経て、毛利のもとで各地に出兵。
  • 関ヶ原後も毛利に従い、永代家老として長州へ。のち幕末に益田親施が長州で要職、禁門の変後に責任をとり切腹。
近代の影:浜田歩兵第21連隊
  • 明治以降、歩兵第21連隊が浜田に置かれ、街の経済や社会に影響。演習地や顕彰など地域の記憶を今に伝える(別稿で年表化予定)。
断片年表(拾い書き)
  • 1443:奉納文書に「浜田」地名。
  • 1619–23:古田重治入部・築城。
  • 1649:松平周防守家入封。
  • 1825頃:外ノ浦に廻船問屋21軒。
  • 1866:石州口の戦い。
  • 1872:浜田大地震(全壊4,300戸)。
  • 1921:鉄道開通・浜田駅。
浜田の発展と歩兵第二十一連隊

※上の記述は私見の抄です。誤りや補足があれば今後も手を入れていきます。

提案 まちづくりメモ

まちづくりのイメージアイコン
地域改善のイメージ

港と街道の要衝、山陰の押さえとしての役割、そして在地の人々の営み。以下は私が集め、心に残った要点です。

畳ヶ浦:清掃と導線の再設計

  • 観光前の定期清掃(年3〜4回)の仕組みづくり。
  • 駐車・導線の案内を写真+矢印で簡潔に(入口にQR音声案内)。

提案のきっかけについて、少し詳しく記しておきたいと思います。私の現役時代、全国に同期の社員22名で会をつくり、年1回の旅行企画を続けておりました。退職後も数回継続し、その企画を私が担当した際、浜田の石見神楽と石見銀山の見学を目的に、浜田での旅行を実施いたしました。 その行程の中で畳ヶ浦を見学した際、海岸特有のにおいではなく異臭、なんとも言えない悪臭がすると、ほぼ全員が話しておりました。中には「浜田を代表する畳ヶ浦が、これで恥ずかしくないのか」と私に話す同期もおりました。 後日、浜田市への提案として、市長直行便や浜田市宝探しの企画を利用し、畳ヶ浦の清掃体制と導線改善について提案を行いました。最近は以前に比べると改善していると感じておりますが、徹底した清掃活動は今後も必要であると考えております。

石見神楽:上演環境の底上げ

  • 舞台幕・背景・照明・音響を神楽仕様に(最低限の投資)。
  • 火・煙の扱いに関する許可・安全導線の整理(市の横串支援)。

美又温泉:選択と集中

  • まずは社会実験(川床・夜店・屋台)→ 来訪と滞在の実測公開。
  • 広報より現地体験の質を先に上げる。

地域文化の体験化

  • 地引網は地域メンバー参加型で“浜の時間”をつくる。
  • 絵付けは統一条件(予約・料金・所要)を掲示し、バス導線を整理。

地域の楽しみ:カラオケ×フルバンド

  • 年2回の“一夜歌会”を実施。録音・写真の公開ルールを先に合意。

※上の提案は私見であり、関係各所の方針・最新の規制に従います。

健康ノート 人生100年時代と脳血管の病気

健康のイメージ
健康のイメージ

浜田を長く楽しむために、家族で共有したい要点を短く残します。 本件ついてのきっかけは、私は定年退職を広島で迎えました。その定年のおりに、親しくしていただいた医師より、 定年後は島根県の浜田に帰りますと話したところ、島根県の西部とくに石見見地域にみは脳血管障害が多く、専門医師も少ないので特に注意をうながされたました。浜田に帰省ご身近な周りに多くの脳梗塞で悩む人をみました。 脳血管の病気とは、脳の血管が詰まったり破れたりして起こる病気のことで、脳梗塞・脳出血・くも膜下出血などを指します。

前兆・急性のサイン

  • 半身の麻痺・しびれ・脱力、手の力が急に抜け物を落とす
  • ろれつが回らない/言葉が出ない/理解しづらい
  • ふらつき・バランス障害、立てない・歩けない(力はあるのに)
  • 視界が欠ける/二重に見える/片目のカーテン感
  • 「いつもと違う」激しい頭痛・めまい・吐き気

FAST(1つでも当てはまれば通報)

  • F:顔の片側が下がる
  • A:両腕を上げて片腕が下がる
  • S:言葉がもつれる
  • T:発症時刻を控え、すぐ119番

家族の行動の要点

  1. 119番に症状発症時刻を伝える(例:「10:15頃から右手が動かない」)。
  2. 到着まで安静(嘔吐時は横向き)。飲食・内服はさせない。
  3. おくすり手帳・服用薬・基礎疾患メモ、身分証を準備。
人生100年時代

※一般的な説明であり診断ではありません。異常を感じたら迷わず医療機関・119番へ。

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